マリーアントワネットの最後の言葉をフランス語で?名言、処刑やワイン、最期の言葉(マリーアントワネット最後の言葉)性格はどうだった?

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マリーアントワネットが処刑台に送られ、

ギロチンにかけられる前の

最後の言葉はなんだったのでしょう。

 

マリーアントワネットの名言の数々を調べてみると、

彼女の本当の姿が見えてきます。

 

それは、世間が抱いているイメージとは、

ちょっと違うものかもしれません。

 

 

Contents

マリーアントワネット(マリー・アントワネット)最後の言葉、フランス語では?ワインと最期の言葉…マリーアントワネット最後の言葉とマリーアントワネットの最後

 

マリーアントワネットをご存知ですか?

 

フランス革命時代の王妃、

マリーアントワネットの激動の生涯と無惨な最期は、

多くの小説や漫画の題材となったので、

それを通して知った人は多いのではないでしょうか。

 

ちなみに、マリーアントワネットの名前は、

フランス語で

「Marie-Antoinette-Josèphe-Jeanne de Habsbourg-Lorraine」

 

彼女と同様に、

なんとも豪華に飾り付けられた名前です。

 

マリー・アントワネットといえば、

世間知らずで浅はかな浪費家で、

その傲慢な振る舞いから国民の反感を買い、

 

最後はギロチン台に送られ処刑されてしまうという

悪女のイメージで知られていますが、

最近、その認識が違っているのでは?

という説が囁かれています。

 

マリーアントワネットとは、

いったいどんな人物だったのでしょうか。

 

1755年、マリーアントワネットは、

オーストリアの女帝、

マリア・テレジアの11人目の娘として生まれました。

 

彼女は、わずか14歳で

フランスのルイ16世と政略結婚し、

一人フランスへと向かいます。

 

これが、マリーアントワネットの人生の

悲劇の始まりです。

 

初めは大歓迎でフランスに迎えられた

マリーアントワネットでした。

 

しかし国政には無頓着で、

他の貴族に習って贅沢三昧の生活に明け暮れていたので、

次第に国民の反感を買うようになりました。

 

そのため、フランス革命が始まると、

貧困に苦しんでいた国民の怒りの矛先が、

マリーアントワネットに向かったのは

至極当然の事でした。

 

革命が激しくなり、

身の危険を感じたマリーアントワネットは、

家族とともに生まれ故郷のオーストリアへ逃亡を企てます。

 

しかし、これが失敗に終わってしまい、

捕らえられパリに引き戻された

ルイ16世とマリーアントワネットは、

完全に国民の信頼を失い、

最後はギロチン台に送られて処刑されてしまいました。

 

ルイ16世が処刑前に残した最後の言葉は、

「私は無実の罪で死にます。

私は、私の命を奪う者たちを許します。

あなた方が今こうして流そうとしている血が、

フランスに注がれぬよう、私は祈りを捧げます」

 

この言葉からもわかるように、

実はルイ16世は、

民衆に寄り添う慈悲深い人だったという説があります。

 

もし、ルイ16世が

マリーアントワネットと結婚していなければ、

彼は処刑を免れ、

フランスの立て直しに尽力した名君となったかもしれません。

 

 

マリーアントワネットの名言!処刑、性格について

 

財政を圧迫するほどの贅沢三昧を尽くして、

国民の生活を苦しめた世間知らずのフランスの王妃、、、

 

それが多くの人が抱いている

マリーアントワネット像ではないでしょうか。

 

実は最近、マリーアントアネットの性格が、

この世間のイメージとは真逆だったのではないか

という説があります。

 

マリー・アントワネットの性格が

垣間見れる名言がいくつか残っています。

 

「パンがないなら、お菓子を食べればいいじゃない」

 

これは、

マリーアントワネットの名言として

よく知られています。

 

マリーアントワネットが、

貧しい民衆に無関心だったことを象徴する言葉として

使われますが、

彼女がこの言葉を言ったという記録はどこにもありません。

 

実は、この名言は、

フランスの哲学者ルソーの自伝の中にでてくる言葉です。

 

この自伝が書かれた頃、

マリーアントワネットはまだ9歳で、

故郷のオーストリアにいました。

 

つまり、この言葉を

彼女がフランスの民衆に向かって発言するのは

不可能なのです。

 

ではなぜ、マリーアントワネットの言葉として

世間に浸透してしまったのでしょうか。

 

それは、当時のアンチ王政派が、

彼女のイメージを落とすために

この言葉を利用したためと言われています。

 

マリーアントワネットがギロチンで処刑される前、

最後に残した言葉は、

 

「ごめんなさい。

わざとではありませんのよ。

でも靴が汚れなくてよかった」

 

これは、マリーアントワネットが処刑台に向かうに時、

よろけて処刑人の足を踏んでしまった際、

とっさに放ったセリフなのですが、

結果的にこれが彼女の最後の言葉となってしまいました。

 

マリーアントワネットの処刑日は、

裁判で死刑を宣告されたその翌日で、

なんの気持ちの整理の猶予もないままに

処刑台へと移送されました。

 

そんな精神状態の中で、

処刑人の足を踏んだことを詫びて、

靴の汚れまで気にするほど

周りに気を配れる人がいるのでしょうか。

 

マリーアントワネットは、

気高さと気品を持ち合わせた女性だったのではと

思わずにいられません。

 

もし、時代や場所が違ったならば、

マリーアントワネットの悲劇の人生は、

全く違ったものだったかもしれませんね。

 

 

マリーアントワネットの最後の言葉について

 

マリーアントワネットの名言を調べていると、

今まで抱いていたイメージと違う姿が浮かびます。

 

実際に、子供を産んでからのマリーアントワネットは、

厳しくも堅実で優しい母親だったという説もあります。

 

マリーアントワネットも

フランス革命の被害者のひとりなのかもしれません。

 

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